らじ。
三十六 たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界のもろもろの菩薩衆、我が名字を聞きて、寿終わりての後、常に梵行を修して、仏道を成るに至らん。もし爾らずんば、正覚を取らじ。
三十七 たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界の諸天人民、我が名字を聞きて、五体を地に投げて、稽首作礼し、歓喜信楽して、菩薩の行を修せん。諸天世人、敬いを致さずということなけん。もし爾らずんば、正覚を取らじ。
三十八 たとい我、仏を得んに、国の中の人天、衣服を得んと欲わば、念に随いてすなわち至らん。仏の所讃の応法の妙服のごとく、自然に身にあらん。もし裁縫・擣染・浣濯することあらば、正覚を取らじ。
三十九 たとい我、仏を得んに、国の中の人天、受けんところの快楽、漏尽比丘のごとくならずんば、正覚を取らじ。
四十 たとい我、仏を得んに、国の中の菩薩、意に随いて十方無量