生まれんと願ぜん。これらの衆生、寿終わらん時に臨んで、無量寿仏ともろもろの大衆と、その人の前に現ぜん。すなわちかの仏に随いてその国に往生せん。すなわち七宝華の中より自然に化生し、不退転に住せん。智慧勇猛にして神通自在ならん。このゆえに阿難、それ衆生ありて、今世において無量寿仏を見たてまつらんと欲わば、無上菩提の心を発し功徳を修行してかの国に生まれんと願ずべし。」
仏、阿難に語りたまわく、「それ中輩というは、十方世界の諸天人民、それ心を至してかの国に生まれんと願ずることあらん。行じて沙門と作り大きに功徳を修すること能わずといえども、当に無上菩提の心を発し一向に専ら無量寿仏を念じ、多少に善を修し、斎戒を奉持し、塔像を起立し、沙門に飯食せしめ、 を懸け燈を然し、華を散じ香を焼きて、これをもって回向してかの国に生まれんと願ぜん。その人終わりに臨んで、無量寿仏、その身を化現せん。光明相好つぶさに真仏のごとくならん。もろもろの大衆とその人の前に現ぜん。すなわち化仏に随いてその国に往生し不退転