p.196 顕浄土真実行文類二(教行信証・行) 目次 // 前頁 / 次頁

当にまた例を引きて、自力・他力の相を示すべし。人、三塗を畏るるがゆえに、禁戒を受持す。禁戒を受持するがゆえに、よく禅定を修す。禅定を修するをもってのゆえに、神通を修習す。神通をもってのゆえに、よく四天下に遊ぶがごとし。かくのごとき等を名づけて自力とす。また、劣夫の、驢に跨りて上らざれども、転輪王の行くに従えば、すなわち虚空に乗じて四天下に遊ぶに障碍するところなきがごとし。かくのごとき等を名づけて他力とす。愚かなるかな、後の学者、他力の乗ずべきを聞きて、当に信心を生ずべし。自ら局分することなかれ、となり。已上
(観経義疏)元照律師の云わく、あるいはこの方にして惑を破し真を証すれば、すなわち自力を運ぶがゆえに、大小の諸経に談ず。あるいは他方に往きて法を聞き道を悟るは、須らく他力を憑むべきがゆえに、往生浄土を説く。彼・此異なりといえども、方便にあらざることなし、自心を悟らしめんとなり、と。已上
「一乗海」と言うは、「一乗」は大乗なり。大乗は仏乗なり。一乗を得るは、阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。阿耨菩提はすなわちこれ涅槃界なり。涅槃界はすなわちこれ究竟法身なり。究竟法身を得るは、すなわち一乗を究竟するなり。如来に異なることましまさず、法身に異なることましまさず。如来はすなわち法身なり。一乗を究竟するは、すなわちこれ無辺不断なり。大乗は、二乗・三乗あることなし。二乗・三乗は、一乗に