p.198 顕浄土真実行文類二(教行信証・行) 目次 // 前頁 / 次頁

しかれば、これ等の覚悟は、みなもって安養浄刹の大利、仏願難思の至徳なり。
「海」と言うは、久遠よりこのかた、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水と成る、これを海のごときに喩うるなり。良に知りぬ、経に説きて「煩悩の氷解けて功徳の水と成る」と言えるがごとし。已上
願海は二乗雑善の中下の屍骸を宿さず。いかにいわんや、人天の虚仮邪偽の善業、雑毒雑心の屍骸を宿さんや。
かるがゆえに『大本』(大経)に言わく、声聞あるいは菩薩、よく聖心を究むることなし。たとえば生まれてより盲たるものの、行いて人を開導せんと欲わんがごとし。如来の智慧海は深広にして涯底なし。二乗の測るところにあらず、ただ仏のみ、独り明らかに了りたまえり、と。已上
『浄土論』に曰わく、「何者か荘厳不虚作住持功徳成就、偈に、仏の本願力を観ずるに、遇うてむなしく過ぐる者なし、よく速やかに功徳の大宝海を満足せしむがゆえにと言えり。」不虚作住持功徳成就は、けだしこれ阿弥陀如来の本願力なり。今まさに略して、虚作の相の住持にあたわざるを示して、もってかの不虚作住持の義を顕す。乃至 言うところの不虚作住持は、本法蔵菩薩の四十八願と、今日阿弥陀如来の自在神力