p.343 顕浄土方便化身土文類六 本(教行信証・化身土 本)
目次
//
前頁
/
次頁
専観、四つには専名、五つには専讃嘆なり、これを「五つの専修」と名づく。専修その言一つにして、その意これ異なり。すなわちこれ「定専修」なり、また「散専修」なり。「専心」とは、五正行を専らにして二心なきがゆえに、専心と曰う。すなわちこれ定専心なり、またこれ散専心なり。「雑修」とは、助正兼行するがゆえに雑修と曰う。「雑心」とは、定散の心雑するがゆえに雑心と曰うなり。知るべし。 おおよそ浄土の一切諸行において、綽和尚(道綽)は「万行」(安楽集)と云い、導和尚(善導)は「雑行」(散善義)と称す、感禅師(懐感)は「諸行」(群疑論)と云えり、信和尚(源信・往生要集)は感師に依れり、空聖人(源空・選択集)は導和尚に依りたまうなり。経家によりて拠りて師釈を披くに、雑行の中の雑行雑心・雑行専心・専行雑心なり。また正行の中の専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。かるがゆえに極楽に生まるといえども、三宝を見たてまつらず、仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願、良に由あるかな。