んと欲してなり。誠にこれ、如来興世の真説、奇特最勝の妙典、一乗究竟の極説、十方称讃の正教なり。如来の本願を説くを経の宗致とす、すなわち仏の名号をもって経の体とするなり。
「行」と言うは、すなわち利他円満の大行なり。すなわちこれ「諸仏咨嗟の願」より出でたり、また「諸仏称揚の願」と名づく、また「往相正業の願」と名づくべきなり。しかるに本願力の回向に二種の相あり、一つには往相、二つには還相なり。往相につきて大行あり、また浄信あり。「大行」とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり。この行、あまねく一切の行を摂す、極促円満せり、かるがゆえに大行と名づく。このゆえに称名は、よく衆生の一切の無明を破す、よく衆生の一切の志願を満てたまう。称名はすなわち憶念なり、憶念はすなわち念仏なり、念仏はすなわちこれ南無阿弥陀仏なり。
願成就の文、『経』に言わく、「十方恒沙の諸仏如来、みな共に無量寿仏の威神功徳不可思議なるを讃嘆したまう。諸有衆生、その名号を聞いて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん、至心回向したまえり、かの国に生