p.405 浄土文類聚鈔 目次 // 前頁 / 次頁

れ正念なり、正念はすなわちこれ正業なり。また「乃至一念」とは、これ更に観想・功徳・遍数等の一念を言うにはあらず、往生の心行を獲得する時節の延促につきて、乃至一念と言うなり。知るべし。
「浄信」と言うは、すなわち利他深広の信心なり。すなわちこれ「念仏往生の願」より出でたり。また「至心信楽の願」と名づく、また「往相信心の願」と名づくべきなり。しかるに薄地の凡夫・底下の群生、浄信獲がたく、極果証しがたきなり。何をもってのゆえに、往相の回向に由らざるがゆえに、疑網に纏縛せらるるに由るがゆえなり。いまし如来の加威力に由るがゆえに、博く大悲広慧の力に因るがゆえに、清浄真実の信心を獲せしむ。この心顛倒せず、この心虚偽ならず。信に知んぬ、無上妙果の成じがたきにはあらず、真実の浄信実に得がたし。真実の浄信を獲れば、大慶喜心を得るなり。大慶喜心を得というは、
『経』(大経)に言わく、「それ至心に安楽国に生ぜんと願ずることあれば、智慧明らかに達し、功徳殊勝な