論説師釈共に同心に、無辺極濁悪を拯済せしむ。
道俗時衆みなことごとく共に、ただこの高僧の説を信ずべし。
六十行一百二十句、偈頌すでに畢りぬ。
問う。念仏往生の願、すでに「三心」を発したまえり、論主、何をもってのゆえに「一心」と言うや。答う。愚鈍の衆生、覚知易からしめんがためのゆえに、論主、三を合して一としたまうか。「三心」と言うは、一つには至心、二つには信楽、三つには欲生なり。私に字訓をもって『論』の意を うに、三を合して一とすべし。その意何んとなれば、一つには至心。「至」というは真なり、誠なり。「心」というは種なり、実なり。二つには信楽。「信」とは、真なり、実なり、誠なり、満なり、極なり、成なり、用なり、重なり、審なり、験なり。「楽」というは、欲なり、願なり、慶なり、喜なり、楽なり。三つには欲生。「欲」というは、願なり、楽なり、覚なり、知なり。「生」というは、成なり、興なり。しかれば、「至心」は