p.825 御文・四 目次 // 前頁 / 次頁

ろき名目なんどをつかう人、これおおし。もってのほかの僻案な り。自今已後、かたく停止すべきものなり。
一 この七か日報恩講中においては、一人ものこらず、信心未定のともがらは、心中を はばからず改悔懺悔の心をおこして、真実信心を獲得すべきものなり。
一 もとより我が安心のおもむき、いまだ決定せしむる分もなきあいだ、その不審をい たすべきところに、心中につつみて、ありのままにかたらざるたぐいあるべし。これ を、せめあいたずぬるところに、ありのままに心中をかたらずして、当場をいいぬけ んとする人のみなり。勿体なき次第なり。心中をのこさずかたりて、真実信心にもと づくべきものなり。
一 近年仏法の棟梁たる坊主達、我が信心はきわめて不足にて、結句門徒同朋は、信心 は決定するあいだ、坊主の信心不足のよしをもうせば、もってのほか腹立せしむる条 、言語道断の次第なり。已後においては、師弟ともに、一味の安心に住すべき事。
一 坊主分の人、ちかごろはことのほか重杯のよし、そのきこえあり。言語道断しかる べからざる次第なり。あながちに、酒をのむ人を停止せよというにはあらず。仏法に つけ、門徒につけ、重杯なれば、かならず、ややもすれば酔狂のみ出来せしむるあい だ、しかるべからず。さあらんときは、坊主分は停止せられても、まことに興隆仏法 ともいいつべきか。しからずは、一盞にてもしかるべきか。これも仏法にこころざし のうすきによりてのことなれば、これをとどまらざるも道理か。ふかく思案あるべき ものなり。