若し佛意に據らば、衆生をして多く善因を積みて便ち念に乘じて往生せしめんと欲するなり。若し論主に望むれば過去の因を閉づるに乘る。理亦爽くこと無し。若し此の解を作さば即ち上佛經に順ひ下論の意に合ふ。即ち是經論相扶けて往生の路通ず。復疑惑すること無かれ。
[第二大門 三、廣施問答]
第三に廣く問答を施して疑情を釋去することを明かすとは、自下は『大智度論』に就て廣く問答を施す。 問て曰く。但一切衆生曠大劫より來かた備に有漏の業を造りて三界に繋屬せり。云何ぞ三界の繋業を斷ぜずして直爾少時阿彌陀佛を念じて、即ち往生を得、便ち三界を出づといはば、此の繋業の義、復云何せんと欲するや。答て曰く。二種の解釋有り。一には法に就て來し破す。二には喩を惜りて以て顯す。法に就くと言ふは、諸佛如來に不思議智・大乘廣智・無等無倫最上勝智有ます。不思議智力とは、能く少を以て多と作し多を以て少と作す。近を以て遠と爲し遠を以て近と爲す。輕を以て重と爲し重を以て輕と爲す。是の如き等の智有りて無量無邊不可思議なり。自下は第二に七番有り。竝びに喩を借りて以て顯す。第一に譬へば百夫の百年薪を聚めて積むこと高さ千刃なるを、豆許りの火もて焚くに半日に便ち盡くすが如し。豈百年の薪半日に盡さずと言ふことを得べけんや。第二に譬へば癖者他の船に寄載すれば風帆の勢に因て一日に千里に至るが如し。豈癖者云何ぞ一日にして千里に至らんと言ふことを得べけんや。第三に亦下賎の貧人一の瑞物を獲て以て王に貢るに、王得る所を慶びて諸の重賞を加へ、斯須くの頃に富貴望に盈つるが如し。豈數十年仕へて備に辛懃を盡せども上下尚達せずして歸る者あるを以て彼の富貴を言ひて此の事無しと言ふことを得べけんや。第四に猶劣夫の己身の力を以て驢に擲ち上らざれども、若し輪王の行に從へば便ち虚空に乘じて飛騰自在なるが如し。