仏の光明もまたまたかくのごとし。声聞・菩薩、一切の光明みなことごとく隠蔽して、唯仏の光の明曜顕赫なるを見たてまつる。その時に阿難、すなわち無量寿仏の威徳巍巍として、須弥山王の高く一切のもろもろの世界の上に出でたるがごとくなるを見たてまつる。相好光明、照曜せざることなし。この会の四衆、一時にことごとく見たてまつる。彼にしてこの土を見ること、またまたかくのごとし。
その時に仏、阿難および慈氏菩薩に告げたまわく、「汝、かの国を見るに、地より已上、浄居天に至るまで、その中の所有、微妙厳浄なる自然の物、ことごとく見るとやせん、いなや」と。阿難、対えて曰さく、「唯然なり。すでに見たまえつ」と。「汝むしろまた無量寿仏の大音、一切世界に宣布して衆生を化したまうを聞くや、いなや」と。阿難、対えて曰さく、「唯然なり。すでに聞きたまえつ」と。「かの国の人民、百千由旬の七宝の宮殿に乗じて障碍することあることなく、遍く十方に至りて諸仏を供養するを、汝また見るや、いなや」と。対えて曰さく、「すでに見たまえつ」