光、華のごとし、また星月の虚空に懸処せるに似たり、光明台と成る。楼閣千万にして、百宝合成す。台の両辺においておのおの百億の華幢あり、無量の楽器をもって荘厳とす。八種の清風、光明より出ず。この楽器を鼓するに、苦・空・無常・無我の音を演説す。これを「水想」とす、「第二の観」と名づく。
この想成ずる時、一一にこれを観じて、極めて了了ならしめよ。閉目開目に散失せしめざれ。唯、睡時を除きて、恒にこの事を憶せよ。かくのごとく想う者を、名づけて粗極楽国地を見るとす。もし三昧を得つれば、かの国地を見ること了了分明なり、具に説くべからず。これを「地想」とす、「第三の観」と名づく。仏、阿難に告げたまわく、「汝仏語を持ちて、未来世の一切大衆の、苦を脱れんと欲わん者のために、この観地の法を説け。もしこの地を観ずる者は、八十億劫の生死の罪を除かん。身を捨てて他世に必ず浄国に生ずべし。心に疑いなきことを得よ。この観を作すをば、名づけて正観とす。もし他観するをば名づけて邪観とす。」