地上に覆えり。釈迦毘楞伽宝をもってその台とす。この蓮華台は、八万の金剛・甄叔迦宝・梵摩尼宝・妙真珠網をもって交飾とす。その台の上において、自然として四柱の宝幢あり。一一の宝幢、百千万億の須弥山のごとし。幢上の宝幔は夜摩天宮のごとし。五百億の微妙の宝珠ありて、もって映飾とす。一一の宝珠に八万四千の光あり。一一の光、八万四千の異種の金色を作す。一一の金色、その宝土に遍す。処処に変化しておのおの異相を作す。あるいは金剛台と為り、あるいは真珠網と作り、あるいは雑華雲と作る。十方面において、意に随いて変現して、仏事を施作す。これを「華座の想」とす、「第七の観」と名づく。」仏、阿難に告げたまわく、「かくのごときの妙華は、これ本、法蔵比丘の願力の所成なり。もしかの仏を念ぜんと欲わば、当に先ずこの華座の想を作すべし。この想を作さん時、雑観することを得ざれ。みな一一にこれを観ずべし。一一の葉、一一の珠、一一の光、一一の台、一一の幢、みな分明ならしめて、鏡の中において自ら面像を見るがごとくにせよ。この想成ずれば、五万劫の生死の罪を滅除す。