p.205 顕浄土真実行文類二(教行信証・行) 目次 // 前頁 / 次頁

たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、 雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、 すなわち横に五悪趣を超截す。
一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解の者と言えり。 この人を分陀利華と名づく。
弥陀仏の本願念仏は、 邪見驕慢の悪衆生、
信楽受持すること、はなはだもって難し。 難の中の難、これに過ぎたるはなし。 印度・西天の論家、 中夏・日域の高僧、
大聖興世の正意を顕し、 如来の本誓、機に応ぜることを明かす。
釈迦如来、楞伽山にして、 衆のために告命したまわく、
南天竺に、龍樹大士世に出でて、 ことごとく、よく有無の見を摧破せん。
大乗無上の法を宣説し、 歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、 易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、 自然に即の時、必定に入る。
ただよく、常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし、といえり。