p.331 顕浄土方便化身土文類六 本(教行信証・化身土 本) 目次 // 前頁 / 次頁

まえるなり。濁世の道俗、善く自ら己が能を思量せよとなり。知るべし。 問う。『大本』(大経)の三心と、『観経』の三心と、一異いかんぞや。答う。釈家(善導)の意に依って、『無量寿仏観経』を案ずれば、顕正隠密の義あり。「顕」というは、すなわち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず、諸機の三心は自利各別にして利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。すなわちこれ「顕」の義なり。「彰」というは、如来の弘願を彰し、利他通入の一心を演暢す。達多・闍世の悪逆に縁って、釈迦微笑の素懐を彰す。韋提別選の正意に因って、弥陀大悲の本願を開闡す。これすなわちこの経の隠彰の義なり。
ここをもって『経』(観経)には「教我観於清浄業処」と言えり。「清浄業処」と言うは、すなわちこれ本願成就の報土なり。「教我思惟」と言うは、すなわち方便なり。「教我正受」と言うは、すなわち金剛の真心なり。「諦観彼国浄業成者」と言