p.345 顕浄土方便化身土文類六 本(教行信証・化身土 本)
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「無過念仏往西方 三念五念仏来迎」と云えり。これはこれこの経の顕の義を示すなり。これすなわち真門の中の方便なり。「彰」と言うは、真実難信の法を彰す。これすなわち不可思議の願海を光闡して、無碍の大信心海に帰せしめんと欲す。良に勧めすでに恒沙の勧めなれば、信もまた恒沙の信なり、かるがゆえに「甚難」と言えるなり。『釈』(法事讃)に、「直ちに弥陀の弘誓重なれるに為って、凡夫念ずればすなわち生まれしむることを致す」と云えり。これはこれ隠彰の義を開くなり。
『経』に「執持」と言えり、また「一心」と言えり。「執」の言は心堅牢にして移転せざることを彰すなり、「持」の言は不散不失に名づくるなり。「一」の言は無二に名づくるの言なり、「心」の言は真実に名づくるなり。この『経』は、大乗修多羅の中の無問自説経なり。しかれば、如来、世に出興したまうゆえは「恒沙の諸仏の証護の正意」ただこれにあるなり。ここをもって、四依弘経の大士、三朝浄土の宗師、真宗念仏を開きて濁世の邪偽を導く。三経の大綱、顕彰隠密の義ありといえど