不退転に住す」と。取要
聖言、明らかに知りぬ。今この心これ如来の大悲、諸有の衆生を招喚したまうの教勅なり。すなわち大悲の欲生心をもって、これを回向と名づく。
三心みなこれ大悲回向の心なるがゆえに、清浄真実にして疑蓋雑わることなきがゆえに、一心なり。
これに依って師釈を披きたるに云わく、「西岸の上に人あって喚ぼうて言わく、汝、一心正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん、すべて水火の難に堕ちんことを畏れざれ」(散善義)、と。また言わく、「中間の白道というは、すなわち貪瞋煩悩の中に、よく清浄願往生の心を生ずるに喩うるなり。仰いで釈迦の発遣を蒙り、また弥陀の招喚に藉って、水火二河を顧みず、かの願力の道に乗る」(同)と。略出
ここに知りぬ。能生清浄願心はこれ、凡夫自力の心にあらず、大悲回向の心なり、かるがゆえに清浄願心と言えり。しかれば、「一心正念」というは、正念はすなわちこれ称名なり、称名はすなわちこれ念仏なり。一心はすなわちこれ深心なり、深心はすなわちこれ堅固深信なり、堅固深信はすなわちこれ真心なり、真心はすなわちこれ金剛心なり、金剛心はすなわ