p.419 浄土文類聚鈔 目次 // 前頁 / 次頁

ちこれ無上心なり、無上心はすなわちこれ淳一相続心なり、淳一相続心はすなわち大慶喜心なり。大慶喜心を獲れば、この心三不に違す、この心三信に順ず。この心すなわちこれ大菩提心なり、大菩提心はすなわちこれ真実の信心なり、真実の信心はすなわちこれ願作仏心なり、願作仏心はすなわちこれ度衆生心なり、度衆生心はすなわちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心すなわちこれ畢竟平等心なり、この心すなわちこれ大悲心なり、この心作仏す、この心これ仏なり。これを「如実修行相応」と名づくるなり。知るべし。「三心すなわち一心」の義、答え竟りぬ、と。
また問う。『大経』の三心と『観経』の三心と、一異云何ぞ、と。答う。両経の三心すなわちこれ一つなり。何をもってか知ることを得る。
宗師(善導)の釈に云わく、至誠心の中に云わく、「至というは真なり、誠というは実なり」(散善義)と。人に就き行に就きて信を立つる中に云わく、「一心に弥陀の名号を専念する、これを「正定の業」と名づく」(散善義意)と。また云わく、「深心すなわちこれ真実の信心なり」(往生礼讃)と。回向発願心の中に云わく、