p.421 浄土文類聚鈔 目次 // 前頁 / 次頁

を観そなわして、一念の中に前なく後なく、身心等しく赴き、三輪開悟して、おのおの益したまうこと同じからずとなり」(散善義)。また言わく、「敬って一切往生の知識等に白さく、大きに須らく慚愧すべし、釈迦如来は実にこれ慈悲の父母なり、種種に方便して、我等が無上の信心を発起したまう」(般舟讃)と。已上
明らかに知りぬ。二尊の大悲に縁りて、一心の仏因を獲たり。当に知るべし、この人は希有人なり、最勝人なり。しかるに流転の愚夫、輪回の群生、信心起こることなし、真心起こることなし。
これをもって『経』(大経)に言わく、「もしこの経を聞きて、信楽受持せること難中の難なり、これに過ぎたる難なし」と。また「一切世間極難信法」(称讃浄土経)と説きたまえり。
誠に知りぬ。大聖世尊、世に出興したまう大事の因縁、悲願の真利を顕し、如来の直説としたまえり。凡夫即生を示すを大悲の宗致とすとなり。これに因りて諸仏の教意を うに、三世のもろもろの如来出世の正しき本意、ただ阿弥陀不可思議の願を説かんとなり。常没の凡夫人、願力の回向に縁って真実の功徳を聞き、無上信心を獲。すなわち大慶喜を得、不退転地を獲。煩悩を断ぜしめずして、速やかに大涅槃を証すとなり。