設ひ此等の爲に諸の過を起さんも、未來の大苦は唯身に受けん。夫れ衆の惡を造れども即に報いず。刀劒の交々傷ひ割くが如くに非ざれども、臨終の罪相始めて倶に現じ、後に地獄に入りて諸の苦に嬰らん。信・戒・施・聞・慧・慙・愧・不放逸、是の如きの七法を聖財と名く。眞實にして比無しと牟尼説きたまふ。世間の衆の珍寶に超越す。足ることを知らば貧なりと雖も富と名くべし、財有るも多欲なるは是を貧と名く。若し財業に豐なれば、諸の苦を增すこと、龍の首多きものは酸毒を益すが如し。當に美味は毒藥の如しとに觀じて、智慧の水を以て灑ぎて淨からしむべし。此の身を存たんが爲には、食ふべしと雖も、色味を貪りて憍慢を長なふこと勿れ。諸の欲染に於て當に厭を生じ勤めて無上涅槃の道を求むべし。此の身を調和して安穩ならしめ、然る後に宜しく應に齋戒を修すべし。一夜分別すれば五時有り、二時の中に當に眠り息むべし、初・中・後夜には生死を觀じ、宜しく勤めて度を求め空しく過ぐること勿るべし。譬へば少しき塩を恒河に置くとも、水をして鹹味有らしむること能はざるが如く、微細の惡は衆の善に遇はば、消滅して散壞すること亦是の如し。梵天の離欲の娯を受くと雖も、還無間の熾燃の苦に墜せん。天宮に居して光明を具すと雖も、後には地獄の黑闇の中に入らん。所謂黑繩・等活地獄の燒・割・剥・刺及び無間と、是の八地獄の常に熾に然ゆること、皆是衆生の惡業の報なり。若しは圖に畫けるを見他の言を聞き、或は經書に隨ひて自ら憶念す。是の如くして知る時すら以て忍び難し。況や復己が身に自ら逕歴せんをや。若し復人有りて一日の中に、三百の矛を以て其の躰を鑚らんに、阿鼻地獄の一念の苦に比ぶれば、百千万分の其の一にも及ばず。畜生の中に於ても苦無量なり。或は繋縛及び鞭撻せらるるもの有り、或は明珠・羽・角・牙・骨・毛・皮・肉の爲に殘害せらる。餓鬼道の中の苦も亦然なり。諸の所須の欲意に隨はず、飢渇に逼まられ寒熱に困しみ、疲乏等の苦甚だ無量なり。屎尿糞穢の諸の不淨だも、百千万劫に能く得ること莫し。設ひ復推求して少分を得んも、更相に勍奪して尋で散失す。淸冷の秋月にも焰熱を患へ、