故に名號の功德、最も勝れたりと爲すなり。餘行は然らず、各々一隅を守る、是を以て劣れりと爲すなり。譬へば世間の屋舍の名字の中には、棟・梁・椽・柱等の一切の家具を攝するも、棟・梁等の一一の名字の中には、一切を攝すること能はざるが如し。之を以て應に知るべし。然れば則ち佛の名號の功德は、餘の一切の功德に勝れたり。故に劣を捨て勝を取りて、以て本願と爲たまふか。次に難易の義とは、念佛は修し易く、諸行は修し難し。是の故に『往生禮讃』に云く。「問て曰く。何が故ぞ、觀を作さしめずして、直ちに專ら名字を稱せ遣むるは、何の意か有るや。答て曰く。乃ち衆生障重くして、境は細なり心は麁なり、識颺り神飛びて、觀成就し難きに由るがなり。是を以て大聖悲憐して、直ちに勸めて專ら名字を稱せしむ。正しく稱名易きに由るが故に、相續して即ち生ず」と。已上 又『往生要集』(卷下本)に「問て曰く。一切の善業、各々利益有りて、各々往生することを得。何が故ぞ唯念佛の一門を勸むるや。答て曰く。今念佛を勸むることは、是餘の種種の妙行を遮せむとには非ず。只是男女・貴賎、行住坐臥を簡ばず、時處諸縁を論ぜず、之を修するに難からず。乃至臨終に往生を願求するに、其の便宜を得ること、念佛に如かざればなり」と。已上 故に知んぬ、念佛は易きが故に一切に通じ、諸行は難きが故に諸機に通ぜず。然れば則ち一切衆生をして、平等に往生せしめむが爲に、難を捨て易を取りて、本願と爲したまふ。若し夫造像起塔を以て本願と爲したまはば則ち貧窮困乏の類は定んで往生の望みを絶たん。然るに富貴の者は少なく、貧賎の者は甚だ多し。若し智慧高才を以て、本願と爲したまはば、愚鈍下智の者は、定んで往生の望みを絶たん。然るに智慧の者は少なく、愚癡の者は甚だ多し。若し多聞多見を以て本願と爲したまはば、少聞少見の輩は定んで往生の望みを絶たん。然るに多聞の者は少なく、少聞の者は甚だ多し。若し持戒持律を以て本願と爲したまはば、