道に落ちて即ち往生の大益を失するなり。問て曰く。若し解行不同の邪雜の人等有りて、來りて相惑亂して、或は種種の疑難を、往生を得ずと噵ひ、或は云はん、汝等衆生、曠劫より已來及以び今生の身口意業に、一切の凡聖の身の上に於て、具に十惡・五逆・四重・謗法・闡提・破戒・破見等の罪を造りて、未だ除盡すること能はず。然るに此等の罪は三界惡道に繋屬す、云何ぞ一生の修福念佛をして、即ち彼の無漏・無生の國に入りて、永く不退の位を證悟することを得んや。答へ曰く。諸佛の敎行、數塵沙に越えたり。識を稟くる機縁、情に隨ひて一に非ず。譬へば世間の人、眼に見るべく信ずべきが如きは、明の能く闇を破し、空の能く有を含み、地の能く載養し、水の能く生潤し、火の能く成壞するが如し。此等の如きの事、悉く待對の法と名く。即ち目に見つべし、千差萬別なり。何に況や佛法不思議の力、豈種種の益無からんや。隨ひて一門を出づるは、即ち一煩惱の門を出づるなり。隨ひて一門に入るは、即ち一解脱智慧の門に入るなり。此をもて縁に隨ひて行を起して、各々解脱を求めよ。汝何を以てか乃し有縁の要行に非ざるを將て、我を障惑する。然に我がの所愛は即ち是我が有縁の行なり、即ち汝が所求に非ず。汝がの所愛は即ち是汝が有縁の行なり、亦我が所求に非ず。是の故に各々所樂に隨ひて、其の行を修する者は、必ず疾く解脱を得るなり。行者當に知るべし、若し解を學ばんと欲はば、凡より聖に至るまで、乃至佛果まで、一切礙無く、皆學ぶことを得ん。若し行を學ばんと欲はば、必ず有縁の法に藉れ。少しき功勞を用ふるに、多く益を得ればなりと。又一切往生人等に白さく、今更に行者の爲に、一の譬喩を説きて、信心を守護して、以て外邪異見の難を防がん。何者か是なるや。譬へば人有りて西に向ひて行かんと欲するに百千の里ならん。忽然として中路に見れば二河有り。一には是火の河南に在り。二は是水の河北に在り。