本願を信ぜんには他の善も要にあらず
私どもがこのたび往生させていただくのはひとえに弥陀の本願力によるのであります。 そのほかには何ものも加えるものはありません。で、あるのに、いくらかでも善根を加え ようとするならば、それは私どもの持って生まれた自力執心のはからいに外なりません。 もともと善根を励み得ぬ私。唯々、煩悩に押流されていく私を痛みたもう大悲のお心を 以って立ち上ってくださった如来の本願のおいわれを聞かせていただくならば、さらに何 の不足ありというのでしょうか。 念仏は行者のために非行非善なりとのお言葉とあわせてよくよく味わい、わが分際の程 を心得てまいりたいと思います。 1970年11月2006年8月5日