弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なし
弥陀の本願は私ども悪人凡夫の為の本願であります。 『歎異抄』を播きますと、よく善・悪という言葉が出てまいりますが、この場合世間的に 言う善・悪とは本質的に違うのでありまして、人間の本質を深く究めてみれば「悪人」としか言いようのない哀しい性を持っており、そのゆえにこそ迷いに迷いを重ね苦から苦を 生じついに浮む瀬のない・・・。そうした私どもを痛みたもう大悲のお言葉が「汝是凡夫」 (汝は是れ凡夫)という呼びかけであります。. 「悪人」という言葉も私を裁くことばでなくして、ともに悲しんでくださる大悲同感のお ことばであり、この私を仏になさずにはおかぬという大いなる願いに立ちあがって下さっ た如来のお心を頂戴するとき、「そうでした」と頷ずかしめられるところに申させていただ く言葉であります。このうえには私に加える何物もなく、また私の自性は何ら往生の障りとはならぬものであります。弥陀の大願業力を障えるもの無しとは、よくよく信順したうえから出てくる自信にあふれたことばなのであります。 1970年12月2006年8月5日