一里塚 「あとがき」に代えて

母が生前いつも私に語ったものでした。 「六男。お前はほんとうに良いお友達に恵まれているネ」 私もそう思った・年若くして父、兄の後を継いでお寺を預かるようになった時、先輩同 輩の人たちの物・心両面にわたっての援助がどれほど私突きく支えてくださったことか。 さらには長崎教区の各先生がたのお導きなど、とうてい言いつくせないものがありました。 これに応えるものとして、いつの日か、私は私なりにせいいっぱいのものを小さくとも 一冊に纒めていきたいと、これが長い間の「夢」でありました。 生涯を在勤づとめとして転任を重ねた父に伴われて各地を転住した私は、38歳の時、 招かれるままにブラジルに渡って邦人在住の地を巡り、帰国してからも、北海道、鹿児島 と移り歩いたことでありまいたが、その行く先ごとにまたすばらしい善き師、善き友にめ ぐり会えてまことに幸せ者だったなと思います。 この間、ブラジル・アサイ照真寺において、また鹿児島・甑島大照寺において、ささや かながら「同朋会報(お寺だより)」を綴ってきました。いまこれらのものを読みかえして みて「わが心の旅路」をふりかえってみたことであります。 それはその折々における「一里塚」でした。「一里塚」。そこでは一寸足を止めます。ふ りかえっては「遙々と来つるものかな・・・」。しかし「一里塚」はさらに先を促します。「旅 はまだまだだぞ。」 このたびおよそ30年ぶりに故郷・長崎の地に身を寄せることになったいま、私はこれ までの旅路を再吟味したいとの思いでこの小誌を纒めてみました。 「良かれ悪しかれ、私は私なりにこのように歩んでまいりました。」 これまでに戴いた皆さまがたのご恩に応えるにはあまりにも拙なくお恥かしいものです けれど、先に述べましたように、こうご挨拶申し上げたいとてこの小誌をお届けいたします。 ご一読いただければこの上もない喜びでございます。 そして私はさらに歩みをつづけることにいたします。「信」とはさらに立ちあがり歩みつ づけることでありましょうから。 お別れして以来なかなかお会いできないでいます。これまで知遇をたまわった方々にいまひとこと申し添えます。 「遇うて別れて、別れて遇うて、別れきりではないわいな。ナムアミダブツ」 武宮礼一先生がこ母堂さまに申し送られたこのおことばをそのまま頂戴しまして、ただ いまの私の心を述べさせていただきます。 筆、後になりましてご無礼致しましたが、このたびこの小誌を発行するにあたりましては、 武宮礼一先生に逐一ご校閲をいただきました。さらに懇な「序文」まで頂戴致しまして、 どこどこまでもお導きいただきました先生のご高恩の程、心から厚くお礼申し上げます。 先生は、長崎県松島、本照寺住職。帯広大谷短期大学名誉教授であられ、私にとって終 始変らぬ恩師であります。 さらに出版にあたりまして竹下哲先生のご親切なアドバイスをいただきましたこと、昭 和堂印刷の原口正人氏のご尽力を併せて深く感謝申し上げる次第でございます。 長崎県・江島にて 本庄六男

2006年10月29日