武宮禮一

著者、本庄六男法兄と私とのご縁はどこまで深いのだろうか。昭和二十年秋、 長崎県松島の小島で相遇うて以来、私の行く処、ブラジルに、北海道に、鹿児島にと、 必ず影現していつも栗鼠の如く小まめにその法衣を醗しつつ活躍して、止るところがなかった。 そして 今は、故郷、長崎の松島と江ノ島といくばくの距りもない小島に夫々に住いして互いに呼び交しつつ、 その縁は今に絶えない。 今回、法兄は『幾山河わが心の旅路』を発刊したいとて、その草稿をわざわざ私の処に持ち来り全体の目通しと、 序文を乞われた。実は私は驚いた。法兄の行動のまめやか さは熟知していたつもりであったが、その間によくマアー。これだけ読書し思索し執筆し発表し続け、 それを今に保持してこられたとは知らなかったからである。 法兄の法話は何回か聴聞して、その信の素直さ、その表現の文学的香りにはいつも聴き惚れたものであるが、 かつて海辺育ちの法兄が、法話中に水泳にこと寄せて語ったことは 今に覚えている。「もともと身体は水に浮くようになっているのである。 力みをすてて素直に水に身を任せればふんわりと浮むのである。それなのに、 海への怖れと、コツをのみこみ得ない焦りとで、いたずらにもがくものだから、 うまく浮かばないのである。ふとしたは ずみにそれを会得すれぱ後は楽なものである。あわてふためいていたのが嘘のようである。 肩肘張った力みは水の包容性を破り、いわれない怖れがかえって水底に己れをひきずりこ んでいく・・・。一切のはからいを捨てて水に任せる・・・。 さすれば浮かしてくれるのは水の働きである。この間の呼吸は説明しようのないところである。 各自身体で会得するほか はない。さて水に打ち任せてみればなんと気楽なことよ。 波のまにまに身を浮かせて"抜き手"を切ることもやめて、しばし、あたりを見まわしてみるがよい。 海の広さがつくづく わかる」と。(本書192頁) 私はこれが、法兄の「心の旅」の基本姿勢であり、 この旅姿に映じた旅路の風光の数々がこの著の行々句々であると思う。 さてしかし、法兄の忙しい現実の旅から旅の問、いわば悠々自適の生活心境を保持せしめた裏には、 カツエ夫人の常に夫と共にというゆるがざる志と、いかなる場面もニッコリ と包みこむ広く豊かな心があったことは知る人ぞ知るである。いま一ついえばお二人のただ一人の愛嬢、 現在岐阜県墨俣町、西来寺坊守文子さんの逞ましい生きかたが、ご夫妻に 希望の星として輝いていたことも付言してさしつかえあるまい。 私もこれから皆さんと共どもに、折々にこの書をひもどき、その時文に心の安らぎを共 にしたいと思う。

2006年8月6日