p.110 仏説観無量寿経 目次 // 前頁 / 次頁

仏の刹まで、その中間において無量塵数なり。分身の無量寿仏、分身の観世音・大勢至、みなことごとく極楽国土に雲集す。空中に側塞して、蓮華座に坐す。妙法を演説して、苦の衆生を度す。この観を作すをば名づけて正観とす。もし他観するをば名づけて邪観とす。大勢至菩薩を見る、これを「大勢至の色身想を観ず」とす、「第十一の観」と名づく。この菩薩を観ずれば、無数劫阿僧祇の生死の罪を除く。この観を作せば胞胎に処せず。常に諸仏の浄妙の国土に遊ぶ。この観成じ已るを、名づけて「具足して観世音・大勢至を観ず」とす。
この事を見る時、当に自心を起こして、西方極楽世界に生じて、蓮華の中において結跏趺座し、蓮華の合する想いを作し、蓮華の開くる想いを作すべし。蓮華開くる時、五百色の光あり。来りて身を照らす。眼目開くと想え。仏菩薩の虚空の中に満てるを見る