p.323 顕浄土真仏土文類五(教行信証・真仏土)
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ずべきもなしと知るを、名づけて随順とす。もし念を離るるを名づけて得入とす。」得入とは、真如三昧なり。いかにいわんや無念の位は妙覚にあり。けだしもって了心は初生の相なり。しかも初相を知ると言うは、いわゆる無念は菩薩十地の知るところにあらず。しかるに今の人、なお未だ十信に階わず、すなわち馬鳴大士に依らざらんや。説より無説に入り、念より無念に入る、とのたまえり。略抄
それ報を案ずれば、如来の願海に由って果成の土を酬報せり。かるがゆえに報と曰うなり。
しかるに願海について、真あり仮あり。ここをもってまた仏土について、真あり、仮あり。選択本願の正因に由って、真仏土を成就せり。真仏と言うは、『大経』には「無辺光仏・無碍光仏」と言えり。また「諸仏中の王なり、光明中の極尊なり」(大阿弥陀経)と言えり。已上 『論』(浄土論)には「帰命尽十方無碍光如来」と曰えるなり。真土と言うは、『大経』には「無量光明土」(平等覚経)と言えり。あるいは「諸智土」(如来会)と言えり。已上 『論』には「究竟して虚空のごとし、広大にして辺際なし」と曰うなり。往生と言うは、『大経』には「皆受自然虚無之身無極之体」と言えり。已上 『論』には「如来浄華衆正覚華化生