その雲霧の下曜して闇なきがごとし、信知するに日月の光益に超えたり。
必ず無上浄信の暁に至れば、三有生死の雲晴る、
清浄無碍の光耀朗らかにして、一如法界の真身顕る。
信を発して称名すれば光摂護したまう、また現生無量の徳を獲。
無辺難思の光不断にして、さらに時処諸縁を隔つることなし。
諸仏の護念真に疑いなし、十方同じく称讃し悦可す。
惑染・逆悪斉しくみな生まれ、謗法・闡提回すればみな往く。
当来の世、経道滅せんに、特にこの経を留めて住すること百歳せん。
いかんぞこの大願を疑惑せん、ただ釈迦如実の言を信ぜよ。
印度西天の論家、中夏日域の高僧、
大聖世雄の正意を開き、如来の本誓機に応ぜることを明かす。
釈迦如来楞伽山にして、衆のために告命したまわく「南天竺に龍樹菩薩、世に興出して、ことごとくよく有無の見を摧破せん、大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜん。」
『十住毘婆沙論』を造りて、難行の嶮路、特に悲憐せん、