p.496 高僧和讃 目次 // 前頁 / 次頁

<第十一首>
願力成就の報土には
自力の心行いたらねば
大小聖人みなながら
如来の弘誓に乗ずなり

<第十二首>
煩悩具足と信知して
本願力に乗ずれば
すなわち穢身すてはてて
法性常楽証せしむ

<第十三首>
釈迦弥陀は慈悲の父母
種種に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまいけり

<第十四首>
真心徹到するひとは
金剛心なりければ
三品の懺悔するひとと
ひとしと宗師はのたまえり

<第十五首>
五濁悪世のわれらこそ
金剛の信心ばかりにて
ながく生死をすてはてて
自然の浄土にいたるなれ

<第十六首>
金剛堅固の信心の
さだまるときをまちえてぞ
弥陀の心光摂護して
ながく生死をへだてける

<第十七首>
真実信心えざるをば
一心かけぬとおしえたり
一心かけたるひとはみな
三信具せずとおもうべし

<第十八首>
利他の信楽うるひとは
願に相応するゆえに
教と仏語にしたがえば
外の雑縁さらになし

<第十九首>
真宗念仏ききえつつ
一念無疑なるをこそ
希有最勝人とほめ
正念をうとはさだめたれ

<第二十首>
本願相応せざるゆえ
雑縁きたりみだるなり
信心乱失するをこそ
正念うすとはのべたまえ

<第二十一首>
信は願より生ずれば
念仏成仏自然なり
自然はすなわち報土なり
証大涅槃うたがわず

<第二十二首>
五濁増のときいたり
疑謗のともがらおおくして
道俗ともにあいきらい
修するをみてはあたをなす