秋毫よりも小なり。『禪經』『次第禪門』等 『寶積經』に云く。「初めて胎を出づる時、七日を經て、八万戸の蟲、身より生じて、縱橫に食噉す。二戸の虫有り、名けて舐髮と爲す。髮の根に依て住し、常に其の髮を食ふ。二戸の虫あり、繞眼と名く。眼に依て住し、常に眼を食ふ。四戸の虫あり、腦に依て腦を食ふ。一戸を稻葉と名く。耳に依て耳を食ふ。一戸を藏口と名く。鼻に依て鼻を食ふ。二戸あり、一を遙擲と名け、二を遍擲と名く。脣に依て脣を食ふ。一戸を針口と名く。舌に依て舌を食ふ。五百戸は左邊に依て左邊を食ふ。右邊も亦然なり。四戸は生藏を食ひ、二戸は熟藏を食ふ。四戸は小便道に依て、尿を食ひて住し、四戸は大便道に依て、糞を食ひて住す。乃至一戸を黑頭と名く。脚に依て脚を食ふ。是の如きの八万は、此の身に依止して晝夜に食噉し、身をして熱惱せしむ。心に憂愁有りて、衆の病現前す。良醫も能く爲に除き療すこと有ること無し」。第五十五・七に出でたり。略抄 『僧伽吒經』(卷四)に説かく。「人將に死せんとする時、諸の虫怖畏し、互に相噉食して諸の苦痛を受く、男女眷屬、大悲惱を生ず。諸の虫相食ひて、唯二の虫有りて、七日鬪ひ諍ひ、七日を過ぎ已れば、一の虫は命盡くれども一の虫は猶存す」と。已上虫蛆 又縱ひ上膳の衆味を食へども、宿を逕る間に皆不淨と爲る。譬へば糞穢の大小倶に臰きが如し。此の身も亦爾り。少より老に至るまで、唯是不淨なり。海水を傾けて洗はんも淨潔ならしむべからず。外に端嚴の相を施すと雖も、内には唯諸の不淨を裹むこと、猶し畫ける甁に糞穢を盛れるが如し。『大論』・『止觀』等の意躰を取る 故に『禪經』の偈(法苑珠林卷七五所引禪秘要經偈意?)に云く。「身は臰くして不淨なりと知れども、愚者は故らに愛惜す。外に顏色を視て好き、内の不淨を觀ず」と。已上身不淨を擧ぐ 況や復命終の後は、塚の間に捐捨す。一二日、乃至七日を經れば、其の身膖脹して、色は靑瘀に變じ、臰く爛れて皮穿れ、膿血流れ出づ。鵰・鷲・鵄・梟・野干・狗等、種種の禽獸、摣み掣きて食ひ噉む。禽獸食ひ已りて、不淨潰れ爛るれば、