無量種の蟲蛆有りて、臰き處に雜り出づ。惡むべきこと死せる狗よりも過ぎたり。乃至白骨と成り已れば、支節分散して、手・足・髑髏、各々異なる處に在り。風吹き日曝し、雨灌ぎ霜封じて、積むこと歳年有れば、色相變異し、遂に腐朽して碎末となり、塵土と相和するなり。已上究竟不淨なり。『大般若』『止觀』等に見えたり 當に知るべし、此の身は始終不淨なることを。所愛の男女も皆亦是の如し。誰か智有る者、更に樂著を生ぜん。故に『止觀』(卷九上)に云く。「未だ此の相を見ざるときは、愛染甚だ強けれども、若し此を見已れば、欲心都て罷み、懸に忍び耐へざること、糞を見ざれば、猶能く飯を噉へども、忽ち臰氣を聞かば、即便ち嘔吐するが如し」と。又(止觀卷九上)云く。「若し此の相を證らば、復高き眉、翠き眼、皓き齒、丹き脣と雖も、一聚の屎に、粉もて其の上を覆へるが如し、亦爛れたる屍に假に繪彩を著せたるが如し。尚眼にも見るべからず。況や當に身もて近づくべけんや。鹿杖を雇ひて自害せるあり、況や抱して婬樂せんをや。是の如きの想は、是婬欲の病の大黄湯なり」と。
[一、厭離穢土 人間 苦]
二に苦とは、此の身は初生の時より、常に苦惱を受く。『寶積經』(卷五五)に説くが如し。「若しは男若しは女、適々生れて地に墮つるに、或は手を以て捧げ、或は衣もて承け接り、或は冬夏の時に、冷熱の風觸るるに、大苦惱を受くること、牛を生剥にして墻壁に觸れしむるが如し」と。取意 長大の後も、亦苦惱多し。同じき『經』(寶積經卷五五)に説かく。「此の身を受くるに、二種の苦有り。所謂眼・耳・鼻・舌・咽喉・牙齒・胸・腹・手・足に、諸の病生ずること有り。是の如く四百四病、其の身に逼切するを、名けて内苦と爲す。復外苦有り。所謂或は牢獄に在りて、撾打楚撻せられ、或は耳鼻を劓がれ、及び手足を削らる。諸の惡鬼神は、而も其の便を得、復蚊・虻・蜂等の毒虫の爲に唼ひ食はらる。寒熱・飢渇・風雨并に至りて、種種の苦惱、其の身に逼切す。此の五陰の身は、一一の威儀、行住坐臥、皆苦ならざること無し。若し長時に行きて暫くも休息せざれば、是を名けて外苦と爲す。住及び坐臥も、亦復皆苦なり」と。略抄 諸の餘の苦相は、