眼前に見つべし、説くことを俟つべからず。
[一、厭離穢土 人間 無常]
三に無常とは、『涅槃經』(北本卷二三・南本卷二〇)に云く。「人の命は停らざること、山の水よりも過ぎたり。今日は存りと雖も、明は亦保ち難し。云何ぞ心を縱にして、惡法に住せしめん」と。『出曜經』(卷二・三)に云く。「此の日已に過ぎぬれば、命即ち減少す。小水の魚の如し、斯れ何の樂しきことか有らん」と。『摩耶經』(卷上)の偈に云く。「譬へば旃陀羅の、牛を驅りて屠所に至るに、歩歩死地に近づくが如し。人の命も亦是の如し」と。已上 「設ひ長壽の業有りと雖も、終に無常を免れず。設ひ富貴の報を感ずと雖も、必ず衰患の期有り」と。『大經』の偈(北本卷二・南本卷二)に云ふが如し。「一切諸の世間に、生ける者は皆死に歸す。壽命無量なりと雖も、要必ず終盡すること有り。夫れ盛なるものは必ず衰ふること有り、合ひ會へるものは別れ離るること有り。壯年も久しく停まらず、盛なる色も病に侵さる。命は死の爲に呑まる、法として常なる者有ること無し」と。又『罪業應報經』の偈に云く。「水渚常に滿たず、火盛なれば久しく燃えず。日は出ずれば須臾に沒し、月滿つれば已に復缺く。尊榮高貴なる者も、無常の速なること是に過ぎたり。當に念じて懃精進して無上尊を頂禮すべし」。已上 唯諸の凡下のみ此の怖畏有るに非ず、仙に登りて通を得たる者も、亦復是の如し。『法句譬喩經』(卷一)の偈に云ふが如し。「空にも非ず海の中にも非ず、山石の間に入るにも非ず、他の方處として脱れ止りて死を受けざるもの有ること無し」と。空に騰り、海に入り、巖に隱るる三人の因縁、經に廣く説くが如し 當に知るべし、諸の餘の苦患は、或は免るる者有らんも、無常の一事は、終に避くる處無きことを。須く説の如く修行して、常樂の果を欣求すべし。『止觀』(卷七上)に云ふが如し。「無常の殺鬼は豪賢を擇ばず、危脆にして堅からず、恃怙とすべきこと難し。云何ぞ安然として、百歳を規望し、四方に馳求し、貯積聚斂せん。聚斂未だ足らず、溘然として長く往かば、所有の産貨、徒に佗の有と爲り、冥冥として獨り逝く。誰か是非を訪はん。若し無常を覺らば、暴水・猛風・掣電よりも過ぎたり。山・海・空・市に、逃避する處無しと。是の如く觀じ已らば、心大いに怖畏し、