眠れども席に安んぜず、食へども哺に甘んぜず。頭燃を救ふが如くして、以て出要を求めよ」と。又(止觀卷七上)云く。「譬へば野干の耳・尾・牙を失はんに、詐り眠りて脱れんことを望めども、忽ち頭を斷たんと聞きて、心大に驚怖するが如し。生・老・病に遭ひて、急しく爲さざらんも、死の事は奢にせず、那ぞ怖れざることを得ん。怖るる心起る時は、湯・火を履むが如し。五塵・六欲も貪染するにに暇あらず」と。已上取意 人道此の如し、實に厭離すべし。
[一、厭離穢土 天道]
第六に天道を明さば三有り。一には欲界、二には色界、三には無色界なり。其の相既に廣くして具に述ぶべきこと難し。且く一處を擧げて、以て其の餘を例せば、彼の忉利天の如きは、快樂極無しと雖も、命終に臨まん時は、五衰の相現ず。一には頭上の花鬘忽に萎み、二には天衣は塵垢に著さられ、三には腋の下より汗出で、四には兩の目數々眴み、五には本居を樂まず。是の相現るる時は、天女眷屬、皆悉く遠離し、之を棄つること草の如し。林の間に偃れ臥し、悲泣して嘆じて曰く、此の諸の天女をば、我常に憐愍せしに、云何ぞ一旦にして我を棄つること草の如くする。我今依るところ無く怙むところ無し、誰か我を救ふ者あらん。善見宮城は、今より將に絶さらんとす。帝釋の寶座には、朝謁するに由無し。殊勝殿の中には、永く瞻望を斷ち、釋天の寶象には、何れの日か同じく乘らん。衆車苑の中には、復能く見ること無く、麁澁苑の内には、甲冑長く辭す。雜林苑の中には、宴會するに日無く、歡喜苑の中には、遊止するに期無し。劫波樹の下、白玉の耎石には、更に坐する時無く、曼陀枳尼の殊勝池の水には、沐浴するに由無し。四種の甘露も、卒ちに食することを得難く、五妙の音樂は、頓に聽聞を絶たん。悲しいかな、此の身獨り此の苦に嬰る。願はくは慈悲を垂れて、我が壽命を救ひ、更に少日を延ばしめば、亦樂しからずや。彼の馬頭山の、沃焦海に墮せしむること勿れと。是の言を作すと雖も、敢て救ふ者無きなり。『六波羅蜜經』 當に知るべし、此の苦は地獄よりも甚し。故に『正法念經』(卷二三)の偈に云く。「天上より退かんと欲する時、心に大苦惱を生ず。地獄の衆の苦毒も、十六の一にも及ばず」と。又大德の天、既に生れて後は、舊の天の眷屬は、