具には上の正雜二行の中に説くが如し。次に異類の助成といふは、先づ上輩に就いて正助を論せば、「一向專念無量壽佛」といふは、是正行なり、亦是所助なり。「捨家棄欲而作沙門發菩提心」等といふは、是助行なり。亦是能助なり。謂く往生の業には念佛を本と爲るが故に、一向に念佛を修せんが爲に、捨家棄欲して沙門と作り、又菩提心を發す等なり。就中、出家發心等とは、且く初出及以び初發を指す。念佛は是長時不退の行なり、寧ぞ念佛を妨礙すべけんや。中輩の中に、亦起立塔像・懸繒・燃燈・散華・燒香等の諸行有り。是則ち念佛の助成なり。其の旨『往生要集』に見えたり、謂く助念方法の中の方處・供具等是なり。下輩の中に、亦發心有り。亦念佛有り。助正の義、前に準へて知るべし。三には念佛と諸行とに約して各々三品を立てんが爲に而も諸行を説くとは、先づ念佛に約して三品を立つとは、謂く此の三輩の中に通じて皆「一向專念無量壽佛」と云ふ、是則ち念佛の門に約して其の三品を立つるなり。故に『往生要集』(卷下本)の念佛證據門に云く。「雙卷經の三輩の業、淺深有りと雖も、然るに通じて皆一向專念無量壽佛といへり」と。感師之に同じ 次に諸行の門に約して三品を立つとは、謂く此の三輩の中に通じて皆菩提心等の諸行有り、是則ち諸行に約して其の三品を立つるなり。故に『往生要集』(卷下本)の諸行往生門に云く。「雙卷經の三輩、亦此を出でず」と。已上 凡そ此の如きの三義、不同有りと雖も、共に是一向念佛の爲の所以なり。初の義は即ち是廢立の爲に而も説く。謂く諸行は廢の爲に而も説く、念佛は立の爲に而も説く。次の義は即ち是助正の爲に而も説く。謂はく念佛の正業を助けんが爲に而も諸行の助業を説く。