又持戒の行相を説くことは、廣く大・小の戒律に在り、彼の戒律先づ滅しなば、持戒の行、何に因てか之を修せん。自餘の諸行、之に準じて應に知るべし。故に善導和尚の『往生禮讃』に此の文を釋して云く。「万年に三寶滅せんに、此の經住すること百年せん。爾の時聞きて一念せん、皆當に彼に生ずることを得べし。」又此の文を釋するに略して四の意有り。一には聖道・淨土二敎住滅の前後、二には十方・西方二敎住滅の前後、三には兜率・西方二敎住滅の前後、四には念佛・諸行二行住滅の前後なり。一には聖道・淨土二敎住滅の前後といふは、謂く聖道門の諸經先づ滅す、故に「經道滅盡」と云ふ。淨土門の此の經特に留る、故に「止住百歳」と云ふなり。當に知るべし、聖道は機縁淺薄にして、淨土は機縁深厚といふことを。二には十方・西方二敎住滅の前後といふは、謂く十方淨土往生の諸敎先づ滅す、故に「經道滅盡」と云ふ。西方淨土往生の此の經特に留る、故に「止住百歳」と云ふなり。當に知るべし、十方淨土は機縁淺薄にして、西方淨土は機縁深厚といふことを。三には兜率・西方二敎住滅の前後といふは、謂く『上生』・『心地』等の上生兜率の諸敎先づ滅す、故に「經道滅盡」と云ふ。往生西方の此の經特に留る、故に「止住百歳」と云ふなり。當に知るべし、兜率は近しと雖も縁淺く、極樂は遠しと雖も縁深しといふことを。四には念佛・諸行二行住滅の前後といふは、謂く諸行往生の諸敎先づ滅す、故に「經道滅盡」と云ふ。念佛往生の此の經特に留る、故に「止住百歳」と云ふなり。當に知るべし、諸行往生は機縁最も淺く、念佛往生は機縁甚だ深しといふことを。加之、諸行往生は縁少く、念佛往生は縁多し。又諸行往生は近く末法萬年の時に局れり。