故に恭敬修と名く。畢命を期と爲し誓ひて中止せざる、即ち是長時修なり。二には無餘修、所謂專ら彼の佛の名を稱して、彼の佛及び一切の聖衆等を專念し專想し專禮し專讃して、餘業を雜へず。故に無餘修と名づく。畢命を期と爲して誓ひて中止せざる、即ち是長時修なり。三には無間修、所謂相續して恭敬し禮拜し稱名し讃歎し憶念し觀察し廻向發願し、心心相續して餘業を以て來し間へず。故に無間修と名く。又貪瞋煩惱を以て來し間へず、隨ひて犯せば隨ひて懺して念を隔て時を隔て日を隔てしめず、常に淸淨ならしむるを、亦無間修と名く。畢命を期と爲して誓ひて中止せざる、即ち是長時修なりと。
『西方要決』に云く。「但四修を修して以て正業と爲す。一には長時修。初發心より、乃至菩提まで、恒に淨因を作り、終に退轉無し。二には恭敬修。此に復五有り。一には有縁の聖人を敬ふ、謂く行住坐臥に、西方に背かず、涕唾便痢、西方に向けず。二には有縁の像敎を敬ふ、謂く西方の彌陀の像變を造る、廣く作ること能はざれば、但一佛・二菩薩を作るも亦得たり。敎といふは彌陀經等を五色の帒に盛れて、自らも讀み佗をも敎ふ。此の經像を室の中に安置して、六時に禮懺し、香華もて供養して特に尊重を生すべし。三には有縁の善知識を敬ふ、謂く淨土の敎を宣べんをば、若し千由旬・十由旬已來は竝びに須く敬重親近し供養すべし。別學の者をば、總じて敬心を起せ、己と同じからざるものをば但深く敬ふことを知れ。若し輕慢を生ぜば罪を得ること窮無し。故に須く總じて敬ふべし、即ち行の障を除く。四には同縁の伴を敬ふ。謂く同修業の者なり、自ら障重くして獨業成ぜずと雖も、要ず良朋に藉りて方に能く行を作せば、危を扶け厄を救ひ、力を助けて相資く。同伴の善縁、深く相保重すべし。