五には三寶を敬ふ、同體・別相竝に深く敬ふべし、具に録する能はず。淺行の者は依修することを果さざる爲なり。住持の三寶といふは、今の淺識の與に大因縁を作す。今粗々料簡すべし。佛寶と言ふは、謂く檀を雕り綺を繍ふ、素質金容玉を鏤め繒に圖し、石を磨り土を削る。此の靈像、特に尊承すべし。暫爾形を觀るに罪消え福を增す。若し少慢を生ずれば、惡を長じ善亡ず。但尊容を想ふに眞佛を見るに當れり。法寶と言ふは、三乘の敎旨、法界の所流なり。名句の所詮、能く解縁を生ず。故に須く珍仰すべし。以て惠を發するなり。尊經を鈔寫して、恒に淨室に安じ、箱篋に盛れ貯へて竝に嚴敬すべし。讀誦の時は、身手を淸潔にせよ。僧寶と言ふは、聖僧・菩薩・破戒の流等なり。心に敬を起して慢想を生ずることなかれ。三には無間修。謂く常に念佛して往生の心を作す。一切の時に於て心に恒に想ひ巧め。譬へば人有り佗に抄掠せられ、身下賎と爲りて備に艱辛を受くるに、忽に父母を思ひて走りて國に歸らんと欲す、行裝未だ辨ぜず佗鄕に在り、日夜に思惟して苦堪へ忍びず、時として暫くも捨てて耶孃を念はざること無し、計を爲すこと既に成り便て歸りて達することを得て、父母に親近して縱任に歡娯せんがごとし。行者も亦然なり。往煩惱に因て善心を壞亂して、福智の珍財竝に皆散失す。久しく生死に流れて制するに自由ならず、恒に魔王の與に僕使と作りて、六道に驅馳せられて身心を苦切す。今善縁に遇ひて、忽に彌陀の慈父、弘願に違せずして羣生を濟拔したまふことを聞きて、日夜に驚忙して發心して往くことを願ず。所以に精勤倦からず、當に佛恩を念じて報盡を期と爲して心に恒に計念すべし。四には無餘修。謂く專ら極樂を求めて彌陀を禮念す、但諸餘の業行をば雜起せしめざれ。所作の業、日別に須く念佛・誦經を修して餘課を留めざるべし」と。