人中の好華と名く、亦希有華と名く、亦人中の上上華と名く、亦人中の妙好華と名く。此の華相傳へて蔡華と名くる是なり。若し念佛の者は、即ち是人中の好人なり、人中の玅好人なり、人中の上上人なり、人中の希有人なり、人中の最勝人なり。四には彌陀の名を專念すれば、即ち觀音・勢至常に隨ひて影護したまふこと、亦親友知識の如くなることを明かすとなり。五には今生に既に斯の益を蒙れり、命を捨てて即ち諸佛の家に入らん、即ち淨土是なり。彼に到りて長時に法を聞き、歴事供養せん。因圓かに果滿ず、道場の座豈賖ならんやといふことを明す。」
私に問て曰く。『經』には、「若念佛者當知此人」等と云ひて、唯念佛者に約して、之を讃歎す。釋家何の意有りてか、「實に雜善もて比類と爲ることを得るに非ず」と云ひて雜善に相對して獨り念佛を歎むるや。答て曰く。文の中に隱れたりと雖も、義の意是明けし。知る所以は、此の『經』に既に定散の諸善并に念佛の行を説きて、而も其の中に於て、獨り念佛を標して、分陀利に喩ふ。雜善に待するに非ずば、云何ぞ能く念佛の功の餘善諸行に超えたることを顯さん。然れば則ち念佛する者は、即ち是人中の好人といふは、是惡に待して而も美むる所なり。人中の玅好人と言ふは、是麁惡に待して而も稱する所なり。人中の上上人と言ふは、是下下に待して而も讃ずる所なり。人中の希有人と言ふは、是常有に待して而も歎ずる所なり。人中の最勝人と言ふは、是最劣に待して而も褒むる所なり。 問て曰く。既に念佛を以て上上と名けば、何が故ぞ上上品の中に説かずして下下品に至りて而も念佛を説くや。答て曰く。豈前に云はずや、「念佛の行は廣く九品に亙る」と。即ち前に引く所の『往生要集』(卷下末)に「其の勝劣に隨ひて應に九品を分つべし」と云ふ是なり。加之、下品下生は是五逆重罪の人なり。