十には觀音觀、十一には勢至觀、十二には普往生觀、十三には雜想觀なり。具に『經』に説くが如し。縱ひ餘行は無しと雖も、或は一或は多、其の堪へん所に隨ひて、十三觀を修め、往生を得べし。其の旨『經』に見えたり。敢て疑慮すること莫れ。 次に散善に付て二有り。一には三福、二には九品なり。初に三福といふは、『經』(觀經)に曰く。「一には父母に孝養し、師長に奉事し、慈心にして殺さず、十善業を修す。二には三歸を受持し、衆戒を具足し、威儀を犯さず。三には菩提心を發し、因果を深く信じ、大乘を讀誦し、行者を勸進す」と。已上經文 「孝養父母」といふは、之に付て二有り。一には世間の孝養、二には出世の孝養なり。世間の孝養といふは、『孝經』等に説くが如し。出世の孝養といふは、『律』の中の生縁奉仕の法の如し。「奉事師長」といふは、之に付て又二有り。一には世間の師長、二には出世の師長なり。世間の師といふは、仁・義・禮・智・信等を敎ふる師なり。出世の師といふは、聖道・淨土の二門等を敎ふる師なり。縱ひ餘行無しと雖も、孝養奉事を以て、往生の業と爲すなり。「慈心不殺修十善業」といふは、此に就て二の義有り。一には初に慈心不殺といふは、是四無量心の中の初の慈無量なり。即ち初の一を擧げて後の三を攝すなり。縱ひ餘行無しと雖も、四無量心を以て往生の業と爲すなり。次に修十善業といふは、一には不殺生、二には不偸盜、三には不邪婬、四には不妄語、五には不綺語、六には不惡口、七には不兩舌、八には不貪、九には不瞋、十には不邪見なり。二には「慈心不殺」・「修十善業」の二句を合して、而も一句と爲す。謂はく初の慈心不殺といふは、是四無量の中の慈無量には非ず、是十善の初の不殺を指す。故に知んぬ、正しく是十善の一句なり。縱ひ餘行無しと雖も、