佛因佛果を説き、涅槃には又四乘の因果を説くなり。然れば則ち深信因果の言は、徧普く一代を該羅す。諸の往生を求めん人、縱ひ餘行無しと雖も、深信因果を以て往生の業と爲すべし。「讀誦大乘」といふは、分ちて而も二と爲す。一には讀誦、二には大乘なり。讀誦といふは、即ち是五種法師の中に、轉讀・諷誦の二師を擧げて、受持等の三師を顯す。若し十種の法行に約せば、即ち是披讀・諷誦の二種の法行を擧げて、書寫・供養等の八種の法行を顯すなり。大乘といふは小乘を簡ぶ言なり。別して一經を指すに非ず、一切の諸大乘經に通ず。謂く一切といふは、佛意は廣く一代所説の諸大乘經を指す。而も一代の所説に於て、已結集の經有り、未結集の經有り。又已結集の經に於て、或は龍宮に隱れて人間に流布せざる經有り、或いは天竺に留りて未だ漢地に來到せざる經有り。而るに今翻譯將來の經に就て、而も之を論ぜば、『貞元入藏録』の中に、『大般若經』六百卷より始めて『法常住經』に終るまで、顯密の大乘經、總して六百三十七部、二千八百八十三卷なり。皆須く讀誦大乘の一句に攝すべし。願はくは西方の行者、各々其の意樂に隨ひて、或いは法華を讀誦して以て往生の業と爲し、或は華嚴を讀誦して以て往生の業と爲し、或は遮那敎王、及以び諸尊法等を受持し讀誦して、以て往生の業と爲し、或は般若・方等及以び涅槃經等を解説し書寫して以て往生の業と爲よ。是則ち淨土宗の『觀無量壽經』の意なり。 問て曰く。顯密の旨異なり、何ぞ顯の中に密を攝するや。答て曰く。斯れ顯密の旨を攝すと云ふには非ず。『貞元入藏録』の中に、同じく之を編みて而も大乘經の限に入れたり、故に讀誦大乘の一句に攝するなり。