問て曰く。爾前の經の中に、何ぞ『法華』を攝するや。答て曰く。今言ふ所の攝とは、權實・偏圓等の義を論ずるには非ず。「讀誦大乘」の言は、普く前後の大乘の諸經に通ず。前といふは『觀經』已前の諸大乘經是なり。後といふは王宮已後の諸大乘經是なり。唯大乘と云ひて權實を選ぶこと無し。然れば則ち正しく華嚴・方等・般若・法華・涅槃等の諸大乘經に當れり。「勸進行者」といふは、謂く定散の諸善及び念佛三昧等を勸進するなり。 次に九品といふは、前の三福を開きて九品の業と爲す。謂く上品上生の中に、「慈心不殺」と言ふは、即ち上の世福の中の第三の句に當れり。次に「具諸戒行」といふは、即ち上の戒福の中の第二の句の「具足衆戒」に當れり。次に「讀誦大乘」といふは、即ち上の行福の中の第三の句の「讀誦大乘」に當れり。次に「修行六念」といふは、即ち上の第三の福の中の第三の句の意なり。上品中生の中に、「善解義趣」等と言ふは、即ち是上の第三の福の中の第二・第三の意なり。上品下生の中に「深信因果發道心」等と言ふは、即ち是上の第三の福の第一・第二の意なり。中品上生の中に、「受持五戒」等と言ふは、即ち上の第二の福の中の第二の句の意なり。中品中生の中に、「或一日一夜受持八戒齋」等と言ふは、又同じき上の第二の福の意なり。中品下生の中に、「孝養父母行世仁慈」等と言ふは、即ち上の初福の第一・第二の句の意なり。下品上生といふは、是十惡の罪人なり。臨終の一念に、罪滅して生を得。下品中生といふは是破戒の罪人なり。臨終に佛の依正の功德を聞きて、罪滅して生を得。下品下生といふは、是五逆の罪人なり。臨終の