秋立つ
夕空に流るる雲も秋めけり緑南 静かな昼下りの庭に舞うトンボの群がめっきり数増して秋のおとずれを知らせる。季節 の歯車は大きく廻転してすでに秋となる。 四季のうつり替りがはっきりしているのは日本独得のことであろうし、日本の風土の有 難さだと思う。暮しの上に、区切りがつくし、心が改る。昔の人は気候の移り変りを素直に 受取り、自然の恵みを頂戴して生活に深みを持っていた。咲き揃っていく草花に季節の移 りを見ていき、穫り入れた穀物に時の恵みを受けつつ、いわば自然とともに暮すそのまま が生活の詩でもあったろう。それと同時に鳥・獣にも愛情を寄せていのちを共にする優し さがあり、それはわが身のいとしさをとうしてもの皆の命の尊さを噛みしめていたのであ 季節の移り変りは、そのまま生活のリズムであった。漫然と流れがちな生活の上に一つ一 つの区切りを教えてくれるのが季節の移り目であった。 このことは秋を迎えるとき、殊にこの感が深い。野山の草木が実を結ぶとき、人々はこ の年のしめくくりを思う。暑さにうだっている身体も立直り、うたかたの喜びに呆けてい た心も覚めて何か大切な忘物をしていたことに気づくのである。或いは外にのみ向いてい た眼を内に向けるといってもよいであろう。 秋の夜の寂けさは心を鎮めてくれ、秋風の涼しさは、浮ついていた思いを醒ましてくれ、 日脚の早まりは一日一日の大切さを教えてくれる。夜の長さに眠れるままに過ごしてきた 日々のことが何かと思起されて、この一年の空しさがいよいよ生死事大と知らせてくださ る。その知らせに耳を傾けて心深く肯ずき止めていくところに、人間が人間に帰れるので はあるまいか。 今日わたくしたちは人為的な工作に庵たれすぎて季感に疎くなっているようである。そ の為にいつしか忘れ去っている「くらしの姿勢」を正すものとして「秋」に教えられるこ との多いことを思う。 それは「秋の徳」ともいうべき大自然の深い教えなのである。 (昭和52年8月)2006年8月21日