鹿島・藺落念仏の丘にたつ

鹿島はわたしが甑島で最初にご縁をいただいたところである。昭和50年・鹿児島教区 開教百年記念の一つのしるしとして、ここ鹿島藺落の丘に建立せられた御門首のお筆にな る「甑島・念彿発祥之地」と誌された碑の除幕式に、時のご輪番・武宮師のお伴をしておまいりさせていただいたのである。 かねて聞いていた「念彿の島・こしき」の歴史にぢかに触れることのできた感慨を
"風薫る 称名念彿いさみあり"緑南
とその日の日誌に書き誌した。
爾来、このゆかりも深い念彿の島に住まいする身となってはやくも2年いろいろと縁に ふれては数々の物語りを聞かせて貰い、遺蹟も拝することができた。だが、この記念碑にそ の後詣でる折もないままに過ぎていたが、このたび手打・大照寺のご門徒のみなさんと語 らって、この地を訪れ、真夏の太陽の下、いま再びこの念仏の丘たつ。 碑に向って立てば、前方西の方は、海原は茫洋として、その果を知らず、東シナ海の怒濤に 落ちこむ断崖には、ウミネコが巣を営んで優しく鳴きかわし・鹿ノ子百合が海風にはげしく もまれながらも今を盛りである。 この絶海の孤島に住居しながら、人びとがはるか西の方、波の彼方に沈んでいくおてん とうさまに、掌を合せ、仏の国に念いを懸ける浄土願生のならわしは、いつのころ、たれによっ て教えられたのであろうか。ともあれ、この島の人たちは、遠い昔から素朴な浄土信仰に生 きてきた。 幕末の頃、藩政の弾圧の下にあって、文字通りいのちをかけて法義を相続して来られたこ とは周知のごとくである。それは甑島全島にわたる護法の闘いとして一人一人の血を以っ て書き綴られた島の歴史である。その意味からいうならば「念彿発祥の地」とはここ鹿島 のみにとどまらず、全島挙げてそれといえるであろうし、さらには一人一人の胸の中にこ そというべきであろう。 省みるとき、いまわたくしたちはその歴史を完く、承けついでいるであろうか?思えばこ の碑はお念仏を、忘れはてている今日の私に切々として訴えられている願いなのである。こ れ一つをあきらかに承け継いでほしいとの「遺言」なのである。 ただ 記念碑とは、啻に昔を偲ぶためだけのものでなく、先祖の歴史を「今日に」頂戴するた めのものと、わたくしは受け止める。 今日も一日くらしの営みに精出す鹿島の村里を見守りつつ、西空を背光として建つこの 碑は、そのまま弥陀の本願を畢竟依と示したもう如来の呼びかけであり、ともに唱和して居 られるご先祖がたの證誠のお声といただくことである。
"承けてたつ念彿の島風光る"緑南
(昭和52年7月)

2006年8月21日