かたつむり
山ふところのその村は、人情こまやかにご法義も購い土地柄であった。
その村に知らぬ人無しといわれるお婆アちゃんが居た。お裾おばあちゃんという。もう 八十になろうという年なのに、すこぶる達者で無類の世話好きである。祝いごとにせよ、仏 事の席にせよ、このおばあちゃんの仰ぎのかからないところはまず無いといってよかろう。 若いときから料理が自慢で、何処のどんな席にもかならず料理方に頼まれるのであった。 ことに、こ法事の折にはこの人が居なくては始まらないとされていた。 村中どこも、わが家とばかり苦にしないし、そのかわり遠慮もない。若いご婦人たちをび しびしと取り仕切って、その差配ぶりも見事であった。一ト月近くもわが家に帰らないこと もしばしばで、嫁が迎えに行っても「かたつむり、どこで死んでもわが家かな」といっこ うに腰を上げようとしない。 このうたは、かつて、さるお客僧がご法話の折披露されたものをひどく感じ入って、以来、 おばあちゃんの口癖になっていたという。村中の人からわが家のおばあちゃんと慕れる 「徳」な人柄でもあったが、それはそれとして、「いつ」「どこで」でも、お迎えのあり次 第結構でございますという、これはおばあちゃん自身のご領解であったのである。 私もよく、このうたを聞いたものであるが、その都度「随所に主となる」という言葉が思 ち合わされたものである。
これはもう、四十年も昔の話なのだが、いまにこのおばあちゃんの口癖のうたが忘れられ ないのである。
朝からの雨の中を、石垣の縁を無心に這いまわるかたつむりを見ながら、またしてもこ のおばあちゃんのことを思い出している私なのである。 「かたつむりどこで死んでもわが家かな」(詠人不知) (昭和52年6月)2006年8月17日