今月今日
ブラジルでの開教使を辞して日本に引揚げることに決めたころ、かねて親しい植田さん というお方が訪ねてこられた。お願いがあるとて、真新しい位牌を差出して法名を書いて 欲しいという。どなたか亡くなられたのかと尋ねると「これは私の位牌です」という。意 をはかりかねてとまどっていると、さらに言葉をつづけていう。
「わたしは、先生にお葬式をして頂けるものとすっかり安心していました。ですが先生は ジャポン(日本)に帰られるとのこと。せめてものことに、私の法名をいまつけて下さい。 そして先生の筆でこれに書いておいて下さい」
わたしは胸が熱くなる思いがした。
・・・開教使の先生がたは、ようやく親しみがでるころになると次々に日本に帰ってしま われる。エウたちは(私たちは)ついに取残される身なんだなと、その都度切ない思いを懐くんですよ…… かねて聞いていた話が思いだされて、身を責められる思いである。わたしはお詫びの心 をこめてこの位牌に筆をとった。
ー緒に珈琲を飲みながら、書き終えた気の安さに
「ついでに命日も書きこみましょうか」
「ノン!(いや・いや)。それはまア・・・」
ここで二人は声を合せて笑って別れたのであるが、ブラジル駐在時代の忘れ得ない思出である。
この話は何度かブラジルの土産話として、人さまにお話した。ついこの問も特伝の講師としてお出下さった三輪昭園先生とも、このことに話が及んだ。そして
「・・・そういうことでやはり日付(命日)を書込むわけにもいきませんでしたわ」 これで話のオチがついたと思ったとたん、先生は穏やかにほほえみながらもはっきりと おっしゃった。
「私は書きますね。『今月・今日』と」。
私は深く頭を下げた。 (昭和52年11月)2006年8月24日