蓑虫

むかし勤めていた或るお寺のご門徒の中に一人のおぢいさんが居た。すばらしい体格で 村でも評判の力もちで、無類の働者であった。ただこのおぢいさん、ひどいカナ聾で人々 との対話はまずできないほどであった。 それでいて法座には欠かさず出て来て、いつも本堂の真ン中に坐る。文字通りご本尊さ ま真向きの場所である。皆はヒソヒソと噂したものである。
「あのぢいさん、いつもお座に出てくるがどんなつもりぢやろう。お説教はまるで聞こえ ないと思うがね……。」
だが、ご本人は泰然たるものである。それこそ阿弥陀さまだけがあてですたい、といわんば かりに・・・。事実、本人自身ご本尊さまを拝し、お念仏申していただけで充実したものを 感得していたのだと思う。法の座に座を占めてそこに「身」を置くことを大事と心得る・・・。そんなお詣りの姿であった。 このおぢいさんにたまたま話を聞かせて貰ったことがある。なんでもお寺の薪割りに来 ていたある日、お茶の休みのときであったと記憶している。ふと自分の方から口を開いて 話してくれたのである。
「・・・二、三日前に山に行きましてナア。煙草休みしていたら頭の上からスウーッと虫が 下って来ましてナア。糸にさがってブランブランしとります。・・・蓑虫でしたタイ。そ れから一番下の枝に止って蓑ば作りましたばい」。
つまり、このおぢいさん、蓑虫が袋を作ってその中にすっぽり納まってしまうまでの一部 始終を見届けたのだという。揚枝のような小枝を一本ずつ喰いとっては綴り合せてわが身 を包むようにして見事に寝袋のように作りあげて身を納めていったという。 その作業を最初から最後までぢ一つと見守っていたというのであるから、何とも気長な 話であるが、いかにもこの人らしいわいと微笑を誘われたことであった。
ところでおぢいさん。最後にこう言ったものである。
「・・・わがはからい。自力といわれるのはこれぢやと思いましたバイ。一つ聞いた。一つ 覚えたと、一本ずつ小枝ば喰いこうで(われと取りこんで)わアがば(我を)包んでい く。わアがが作った袋ン中に入りこうで(入りこんで)しもうて眠りこうで(眠りこん で)しもう。あとはなんば(何を)お聞かせにあうても聞こえまっせんタイ・・・」
いまに忘れ得ないこの人の言葉である。 (昭和52年11月)

2006年8月24日