『歎異抄』のおことば二
法語カレンダー領解その二
昭和53年度
自見の覚悟をもって他力の宗旨を 乱ることなかれ(序文)
真宗聖典626頁
今年度の法語カレンダーには『歎異抄』のおことばが掲げられてあります。 『歎異抄』の真意を受得することはなかなか難しいことだといわれていますが、それは『歎 異抄』自体が難しいのではなくして、頂戴するわたくしの側に問題があるということでしょ う。 とかくわたくしたちは、自分の気に入ったものは受取り、気に入らぬものは斥けていき ます。すべての事がらを自分の都合で解釈しては善し悪しを決め、あらゆるものを自分の 為にしていく・・・。その根底には、まづ自分自身を何物にもまして愛着する我愛の心があ るからであります。 そのためには「すべて仏法にこと寄せて世間の欲心もある」といわれるように仏法すら 自己の目的のためにしようとするものです。これはまったく「自見の覚悟をもって他力の 宗旨を乱る」ことからくる邪見であり僑慢でありましょう。 そのような心を、歎異せられ、指摘せられ、きびしく批判せられているのがこの『歎異 抄』でありますが、それは外側に立って(第三者の立場に立って)いたずらに批判し慨歎 するのではなく、そうした現実を自分自身の問題として受けとめて「よき人の仰せ」によっ て、まことのいわれを聞思して真実の依りどころを明らかにして、真の独立者となるべき願 いに外ならないのであります。 今日いわれる「人間疎外」も、相互の間の「断絶」も、また「主体性の喪失」もひとえ に、わたくしたちの我執・我愛からくるものであり、「他力の宗旨」はそのような自我の生み だす問題を解決して「真の独立者」となり、そこからともどもに手を携えていく世界が開 かれている教えであり、これはまさしくわたくしを根底から支えて下さるものであります。 (昭和53年3月)2006年8月25日