梅雨寒む
随想その二

梅雨寒むというのであろうか。終日、冷えびえとしてうすら寒いことである。家内はグ ロキシン(熱帯性の草花)をビニールで囲ったりして大童である。"南国・鹿児島"という のに・・・。と、ボヤイタとたんに思い出したことがある。 開教使としてブラジルに着任して間もなく三月の彼岸を迎えたが(春の彼岸といわない のは、ブラジルはこの頃は秋にあたるからである)驚いたことに寒いのである。セーター を着込んでもなお寒い。
まだ日本の感覚が抜けきらない私は一月、二月(ブラジルでは真夏)の暑さに面喰らい こんどは寒波の襲来に仰天してしまった。
サンパウロ本部(開教本部・現開教監督部、別院)の彼岸会に出仕した私は本部長(現・ 監督・兼輪番)武宮先生に喰ってかかった。
「ブラジルまで呼び寄せておきながら、こんな寒い目に会わせるなんて・・・」
・・・平素の気易さに甘えての戯言ではあるが、寒さに弱い私の本音でもあった。
途端に一喝。

「ブラジルに"寒さ"がないと誰が決めた!」

ブラジルは常夏の国と聞かされて、寒さがあるとは毛頭考えてもいなかったのである。 ブラジルは広大な国である。熱帯から温帯。さらに亜寒帯にまで及ぶ。それに地域におけ る海抜の高低によって気温が違う。サンパウロ周辺は海抜七百メートル前後の高原地帯な ので結構寒いのである。 年月を経るほどにその実態がわかったが、着伯早々の私にはそうした実情が飲みこめぬ ままに大騒ぎしていたわけであるが、このとき、つくづく「常識」というもののあやふや なことを思い知ったのである。 ・・・もう五月というのに・・・。 これは「常識」に立っての判断というより独断である。「南国・鹿児島」というイメージ もこの枠を出ない。ことごとに、自分の常識に頼っては、あてが外れてあわてふためく姿がわ れながらおかしい。 ワアワア騒ぎたてて悲鳴をあげたり、不平をとばしたり、そうした私をニヤニヤしなが らどこかで眺めているどなたかが居られるような気がして、ピョコンと首をすくめる私で ある。 (昭和53年5月)

2006年8月28日