慈光はるかにかぶらしめ
光のいたるところには
法喜をうとぞのべたもう
『讃阿弥陀仏偈和讃』真宗聖典479頁
慈光洽く無教の土地も水ぬるむ 白兎
ブラジル開教本部長(現在は開教監督)初代として長らく彼の地においてご苦労くださっ た、故稲葉道意師の句である。第二次世界大戦が終わって問もない時期に赴任された稲 葉師は、ブラジル教団の開発にあたって、わたくしどもの想像以上に心身ともにご苦労多 かったとうけたまわるが、わたくしも彼の地に暫く勤めた体験にひきあてて、さこそと拝 察したことであった。 七十年もの昔から、全く徒手空拳で移住した邦人の方々のご苦労も、またわれわれの想像 に絶するものであった。言葉すら自由に通じない異境の地にあって、ひたすら「明日」に 賭けての生活は、何の潤いもないただ牛馬のごとく働きとおすのみであったという。 そうしたなかに、ただ一つ心の支えとなったものは故国に在ったときおぼろげながら聞い ていたお念仏の教えであり、何かは知らねどただ念仏申すことのみであったという。わた くしは、或るおばあちゃんが大切に捧持していた小さな三ツ折本尊を拝ませて貰ったことが あるが、それはすでに「紙」といった感触ではなかった。お名号の墨跡もおぼろに、ぢつ とりと湿りをおびて、さながらにしおたれた古煎餅のような感じであっだ。故郷もとのご 院さん(ご住職)からお別れのとき「ブラジルさ行ってもお念仏さまだけは忘れるで無え ぞ」といってお餞別に頂いてきたのだという。 フワゼンダ(農園)に配属されてからは苛酷な労働の日々であった。焦きつく太陽のも とで絞った汗と、夜の闇にかくれて声を殺して泣いた涙と、文字どおり汗と涙のしみこん だこの三ツ折ご本尊は、まさしくこのおばあちゃんの歴史であった。 それを拝ませていただいたとき、わたくしはまさしく「お念仏」はこのおばあちゃんと ともに在しましたのだと知らされた。いまごろ渡ってきて「開教使」などと烏滸がましく 名乗っているが、当の「お念仏」は、このおばあちゃんとともに、はるか昔に海を渡ってこの 地に流通しておわしますと、この三ツ折ご本尊の前に深く首を垂れた思い出は、いまに忘 れ得ぬ感懐である。 生活が安定したこともさりながら、晴れてお念仏が申され、そのくわしいおいわれが聴 聞できる今日に遇えたことが夢ともおもわれるほど嬉しく有難いのですと、おばあちゃん の顔は実に晴ればれとしたものであった。 同朋の集いが年ごとに広がっていき、枯渇した人びとのくらしの中に人間らしい温かさ が浸みこんでいくすがたを眺めつつ、稲葉ご老師の胸に浮んだこの一句は、まさしく「仏 法弘通の本懐」であったであろう。 長い冬に凍てついた大地は、春の陽ざしを浴びて柔かくほぐれ水も温む。 「稼ぎ餓鬼」の世界に如来の慈光がさしこんでくださるとき、はじめて「人の世」となる。 人間が人間の心を頂く・・・。 これほど大きな喜びがあろうか。それはまさしく如来よりたまわった「法の喜び」であ る。 (昭和54年5月)2006年9月1日